sanemat
他人をdisる時は一緒に自分もdisっとけば自虐ネタの一種として受け入れてもらいやすいとかもありますね。この手の処世術は伊集院光のラジオから
Twitter / @gentledog (via igi)
(via kotoripiyopiyo)
MEGAUPLOAD ←逮捕/強制閉鎖
FileServer ←アフィ死亡/垢BAN祭り/公開機能停止
FileSonic ←アフィ死亡/垢BAN祭り/公開機能停止
UploadStation ←アフィ死亡/垢BAN祭り/公開機能停止
FileJungle ←アフィ死亡/垢BAN祭り/公開機能停止
Hotfile ←訴えられ中
Wupload ←アフィ死亡/過疎
Filepost
RapidShare ←以前に訴えられた/アフィなし
MediaFire ←アフィなし/FBIの噂
Crocko
BitShare
oron ←ゴミ
netload
depositfiles
cramit.in ←ゴミ
uploaded.to ←US弾き
shareflare
rapidgator ←FTP/リモートアップ失敗多発
filevelocity.com ←US鯖/罠の噂
(via kotoripiyopiyo)
音楽がやりたくて上京してうきうき大学のバンドサークル入ったら
そこに吐いて捨てるほどいた「Judy and Maryが好きです」みたいなボーカルの女のコが
卒業するころにはだいたいギターかドラムとつきあっててそいでそいつの趣味で
「フジファブリックとか好きです」みたいになっていく状況を
私がひたすら横目に眺めたゼロ年代を経由し、
森ガール代表宮崎あおい主演で映画化された『ソラニン』(2010年)でもって
ようやく「90年代ノットデッド派」の末路(文字通りの死)が描かれたのを期に
90年代やっと終わったかと思ったところへ神聖かまってちゃんが登場、
あろうことか『モテキ』のドラマ化および映画化(2011年)が再度それらに命を吹き込んで、
「どれだけ殺しても死なないままついでにちゃっかり生き返ってしまった90年代」
を謳歌しているサブカル好きリア充どもの心のよりどころ、それが、
フジファブリック!
そのものではないですか!
フジファブリックが好きな女子なんて… - 東京エスカレーターガール (via dita69)(via otsune)
■メディア上でやらせやステルス行為を駆逐するべき
「ステルスマーケティング」や「やらせ」行為は、やらせが判明した場合のリスクが実は非常に大きい事が理解されないと変わらないのではないだろうか @tokuriki
トクリキー粒子散布!
トクリキガンダム! おれがガンダムだ!
(via tnoma)
(via kotoripiyopiyo)
違うんだよ。おれが聞きたいのはそんなことじゃないんだ。他にやることがあるから、努力するのがすげーダルいんだよ。”
“そこそこ上手く見える文章や絵を描いて、中途半端に承認欲求を満たしたいんだよ! 俺は!”
“本業でやっている人には冒涜的なことかもしれないが、俺は最小限の努力でキーボードを弾けるようになってけいおん!!ごっこがしたいし、最小限の労力で絵を描けるようにもなりたい。”
当該ブログの文章。
これを読んで私が受ける印象は、「上手な人を見てガーンとなったけどそれでも描くのがやめられない」人でもなければ「描くのが楽しくて描くなと言われても描き続ける」人でもない。
こう言っちゃなんだけど、「絵をきっかけにして誰かに認めてもらいたい」だけで、そのときの「絵」は、「文章」でも「キーボード」でも任意に交換可能なものでしかないんだと思う、この人の中では。
でまあ、「絵」なり「キーボード」なりがお手軽承認欲求のツールでしかないこと自体が、悪いとは思いませんよ?
絵にしろ音楽にしろ、プロとは別の次元で楽しんではいけないってことは全然ない。
これ、よくスポーツマンガである「楽しむことが目的のチームがあっちゃいけないか」問題だよね。
でも、自分でも書いてる通り、中途半端な承認欲求を満たしたいときに、「インターネット」なるもの全体を相手にして”今のインターネットも上級者しかいないゲームセンターみたいな窮屈さを感じるんだ。”と言ってしまうのはやっぱり「上のステージをフォーカスして」物を言っているように思う。
「中途半端な努力」で得られる承認の数は、傍に上級者がいようがいまいがさほど変わらない。多分。
どちらかというと、「中途半端な努力でも承認してもらえる」仲間の見つけ方、この人に必要なのはそちらの方かも知れない。 “違うんだよ。おれが… - id:angmar - angmar - はてなハイク (via otsune)
“そこそこ上手く見える文章や絵を描いて、中途半端に承認欲求を満たしたいんだよ! 俺は!”
“本業でやっている人には冒涜的なことかもしれないが、俺は最小限の努力でキーボードを弾けるようになってけいおん!!ごっこがしたいし、最小限の労力で絵を描けるようにもなりたい。”
当該ブログの文章。
これを読んで私が受ける印象は、「上手な人を見てガーンとなったけどそれでも描くのがやめられない」人でもなければ「描くのが楽しくて描くなと言われても描き続ける」人でもない。
こう言っちゃなんだけど、「絵をきっかけにして誰かに認めてもらいたい」だけで、そのときの「絵」は、「文章」でも「キーボード」でも任意に交換可能なものでしかないんだと思う、この人の中では。
でまあ、「絵」なり「キーボード」なりがお手軽承認欲求のツールでしかないこと自体が、悪いとは思いませんよ?
絵にしろ音楽にしろ、プロとは別の次元で楽しんではいけないってことは全然ない。
これ、よくスポーツマンガである「楽しむことが目的のチームがあっちゃいけないか」問題だよね。
でも、自分でも書いてる通り、中途半端な承認欲求を満たしたいときに、「インターネット」なるもの全体を相手にして”今のインターネットも上級者しかいないゲームセンターみたいな窮屈さを感じるんだ。”と言ってしまうのはやっぱり「上のステージをフォーカスして」物を言っているように思う。
「中途半端な努力」で得られる承認の数は、傍に上級者がいようがいまいがさほど変わらない。多分。
どちらかというと、「中途半端な努力でも承認してもらえる」仲間の見つけ方、この人に必要なのはそちらの方かも知れない。 “違うんだよ。おれが… - id:angmar - angmar - はてなハイク (via otsune)
(via otsune)
違うんだよ。おれが聞きたいのはそんなことじゃないんだ。他にやることがあるから、努力するのがすげーダルいんだよ。”
“そこそこ上手く見える文章や絵を描いて、中途半端に承認欲求を満たしたいんだよ! 俺は!”
“本業でやっている人には冒涜的なことかもしれないが、俺は最小限の努力でキーボードを弾けるようになってけいおん!!ごっこがしたいし、最小限の労力で絵を描けるようにもなりたい。”
当該ブログの文章。
これを読んで私が受ける印象は、「上手な人を見てガーンとなったけどそれでも描くのがやめられない」人でもなければ「描くのが楽しくて描くなと言われても描き続ける」人でもない。
こう言っちゃなんだけど、「絵をきっかけにして誰かに認めてもらいたい」だけで、そのときの「絵」は、「文章」でも「キーボード」でも任意に交換可能なものでしかないんだと思う、この人の中では。
でまあ、「絵」なり「キーボード」なりがお手軽承認欲求のツールでしかないこと自体が、悪いとは思いませんよ?
絵にしろ音楽にしろ、プロとは別の次元で楽しんではいけないってことは全然ない。
これ、よくスポーツマンガである「楽しむことが目的のチームがあっちゃいけないか」問題だよね。
でも、自分でも書いてる通り、中途半端な承認欲求を満たしたいときに、「インターネット」なるもの全体を相手にして”今のインターネットも上級者しかいないゲームセンターみたいな窮屈さを感じるんだ。”と言ってしまうのはやっぱり「上のステージをフォーカスして」物を言っているように思う。
「中途半端な努力」で得られる承認の数は、傍に上級者がいようがいまいがさほど変わらない。多分。
どちらかというと、「中途半端な努力でも承認してもらえる」仲間の見つけ方、この人に必要なのはそちらの方かも知れない。 “違うんだよ。おれが… - id:angmar - angmar - はてなハイク (via otsune)
“そこそこ上手く見える文章や絵を描いて、中途半端に承認欲求を満たしたいんだよ! 俺は!”
“本業でやっている人には冒涜的なことかもしれないが、俺は最小限の努力でキーボードを弾けるようになってけいおん!!ごっこがしたいし、最小限の労力で絵を描けるようにもなりたい。”
当該ブログの文章。
これを読んで私が受ける印象は、「上手な人を見てガーンとなったけどそれでも描くのがやめられない」人でもなければ「描くのが楽しくて描くなと言われても描き続ける」人でもない。
こう言っちゃなんだけど、「絵をきっかけにして誰かに認めてもらいたい」だけで、そのときの「絵」は、「文章」でも「キーボード」でも任意に交換可能なものでしかないんだと思う、この人の中では。
でまあ、「絵」なり「キーボード」なりがお手軽承認欲求のツールでしかないこと自体が、悪いとは思いませんよ?
絵にしろ音楽にしろ、プロとは別の次元で楽しんではいけないってことは全然ない。
これ、よくスポーツマンガである「楽しむことが目的のチームがあっちゃいけないか」問題だよね。
でも、自分でも書いてる通り、中途半端な承認欲求を満たしたいときに、「インターネット」なるもの全体を相手にして”今のインターネットも上級者しかいないゲームセンターみたいな窮屈さを感じるんだ。”と言ってしまうのはやっぱり「上のステージをフォーカスして」物を言っているように思う。
「中途半端な努力」で得られる承認の数は、傍に上級者がいようがいまいがさほど変わらない。多分。
どちらかというと、「中途半端な努力でも承認してもらえる」仲間の見つけ方、この人に必要なのはそちらの方かも知れない。 “違うんだよ。おれが… - id:angmar - angmar - はてなハイク (via otsune)
(via otsune)
読書とは他人にものを考えてもらうことである。1日を多読に費やす勤勉な人間はしだいに自分でものを考える力を失ってゆく。
読書について 他二篇 ショウペンハウエル (via mcsgsym)
2008-08-25
(via gkojax-text)
(via toukubo)

